起業きっかけストーリー第一章 第六話

起業きっかけストーリー第一章 思い立ってから起業まで

第六話 未熟者のまま次のステージへ。

印刷の知識もだんだん備わり、印刷屋の営業マンとしても板についてきたころ、それは突然やってきた。

倒産・・・ではなくある女が上司として入社してきたのだ。

まだ20代だったが、すごく仕事のできる人ではあった。今思えば、彼女の言っていたことわかる部分もあるし、彼女なりの苦労や思いやり、私の知らないところでもしかしたらなにか色々やってくれた部分があったのかもしれないし、真似すべきところはごまんとあったはずだ。それでも彼女の営業スタイルや仕事への価値観がどうしても受けつけなかったのだ。あれからもう何年もたっているので、丸くなっていることを願いたい。

そもそもなぜそんな人がやってきたのか?以前のブログでもつづったが、やはり社長自身が新入社員である私たちを扱えきれず、その彼女にまかせようという魂胆だった。

もちろんまったく関係のない業種からひっぱってきたので印刷の知識はない。いくら仕事ができても、そんな人に仕事を教わるわけにもいかないという私のプライドが、より一層彼女との仲を険悪にしていった。

当時不器用だった私は、表面だけでもへらへらして相手に言われたことを聞いているふりして流すということができなかった。

なのでいつも私は彼女にマークされ、ことあるごとに衝突していた。

印刷の仕事も好きだし、この会社も好きだ。辞めたくない、、、が、彼女がいる限りもう無理だ。辞めよう・・・。

藁にもすがる気持ちで、そのままの気持ちを社長に告白した。なにか変わるかもしれない、辞めたいと伝えたとはいえ、なにか変わるかもしれないと淡い期待を持っていた私に返ってきた返事はこうだ。

「うん、俺も正直もう二人(新入社員の私たち2人)雇うのきついと思ってたんだ。それに、あいつ(例の彼女)とも無理でしょ?」

会社や組織、現実はそんなに私に味方じゃないと痛感した瞬間だった。
でもそういわれたらもう晴れやかに辞めてやる。

このとき、私はなんだか燃え尽き症候群になっていた。昆布で起業することも、なんだかもうどうでもいい。次の仕事はどうしようという不安はあったが、もう絶対印刷屋にはならないと強く誓い、あっという間に会社を去った。

退職してからは、一度も社長及び彼女とは接触していない。

社会人になって2年と少し。社会人としてなにも育ってないまま次のステージへ意図することなく向かうことになってしまった。

つづく

起業きっかけストーリー第一章 第五話

起業きっかけストーリー第一章 思い立ってから起業まで

第五話 私の営業スタイル

前の話で辛いことをつづったが、それでも私は社長には感謝している。よくここまで自由にしてくれて、なおかつお給料までくれたのだから。

ほっとかれていた中でも対応してくれたことはあったし、きっと社長は社長で新卒社員である私たちの扱いに困っていて、社長なりに色々試行錯誤していたんだなと今でなら思う。

さて、私がどんなふうに営業していたかというと、最初はできる風を装っていた。新卒の子が一人で営業に行くなんて早々ないだろうなと思っていたのもあり、新卒と思われたくなかったのだ。

だが、何度も言っているとおり、社会人としての教養は備わっていない私は敬語の使い方や基本的なマナーもなにもなっていない。それでいてやはり自信がないのでおどおどしている。そんな感じなのでもちろん相手にも信用されず。。。

そんなとき、ふとバカなことを閃いた。

そうだ、格好つけないで「私は新卒です。なにもわからないので教えてください」と言えば相手も私を見る目が変わるはずだ、と。

これはかなり効果絶大であった。

そのときの私の営業方法といえば、
・リストを作成して電話アポ
・飛び込み営業
・交流会に参加

である。電話アポだとすると「印刷会社ですけど~」だけだと相手にされなかったのものが「新卒なんです、いろんな方のお話しをお聞きしたく電話しました!」と言えばだいたいの方が「そういうことなら…」と電話越しの見ず知らずの私に親切にお時間をいただけるようになった。

よく考えたら会社からしたら恥ずかしいやつだよなぁとつくづく思う。きっと「恥ずかしいから電話しないで」と言われたのはこのせいもあったはすだ。

あとその当時私を救ったのが「交流会」という存在である。もともとその会社に入った目的は起業するための人脈をつくるというものだったので、異業種交流会というものがあったと知ったときには目から鱗だった。

この異業種交流会、今でこそ胡散臭いものも多いが(当時も私が知らなっただけで多かったのかも?)当時は健全な質の良い交流会が多かったと思う。

いろんな業種の人と会い名刺交換をしてお仕事のマッチングを図る…そんな感じだ。

私は参加した後日、必ず全員にアポをとり先日の名刺交換のお礼とまた改めて会ってほしいアポをとることにしていた。

だいたいの方が快く承諾してくれ、必ず私はこう話す「今は印刷会社の営業をしていますが、将来昆布の会社を立ち上げたい。それまでお付き合いしていただきたい」と。

この交流会というもので出会った人たちが今の私を支えてくれているのだ。長い方はもう8年くらいになる。そしてどんどんまた良い縁がつながって今に至っており、すべての縁の原点はこの時期に参加した交流会だったんだなと、この記事を書いていてなんだか感慨深いものがある。

もちろん、印刷会社としての私の売り上げを支えてくれていたのもこの方たちである。たぶん、最初はお情けでお仕事をいただいたことが多かったんだろうなぁと。。。改めてこの場を借りて感謝申し上げたい。

なので、私の営業スタイルは当時とさほど変わっていない。
それこそ大学を出てから8年くらいたつのでそれなりに大人になった部分はあるが、相変わらず敬語は使えないし電話対応も適当だ。楽しい話には時間も忘れて入り浸る。名刺の渡し方もメール文も全部自己流。それでも、それが、私だ。この私を認めてくれる人たちと付き合っていきたいものである。

そんなこんなでだんだんと印刷の知識も備わり、売り上げもそこそこ調子が良くなって印刷会社の営業マンが板についてきたころ、試練はまた突然やってくるのである。

つづく

起業きっかけストーリー第一章 第四話

第一章 思い立ってから起業まで

すっかりご無沙汰していたこのカテゴリー、まさかに身近に読者さまがいてくれました。そんなことから、まじめに更新していこうと決意。。。さぁ、いよいよ社会人編突入します。

第四話 いよいよ社会人!

社会人になっても私は相変わらずだった。基本的な就活活動をしてこなかったおかげで、社会人としての一般的な知識がまったく備わっていない。きっとふつうなら、備わっていないなりに学生時代に本を読んだり先輩の話を聞いたりして知識としては頭に入っているものではないだろうか。

そんな感じのスタートだったが、私の思惑通り入社した会社は自由すぎる会社だった。自由すぎると言えば聞こえはいいが、社長は特に札幌オフィスにあまり顔を出すことはなく、要は監督不行き届きであった。

そのうえ、謎に別会社のフロアを間借りしているという謎の設定だったために、私ともう一人採用された同期は困惑を隠せなかったのを覚えている。

新卒研修はない、特に営業日報も上げる必要はない、印刷会社に入社したが印刷の研修もない、本当に、なにもなかった。

もう一人の同期はデザイン系の学校を卒業して、デザイナー志望で入ってきた。この子がまた大人っぽく良く出来た子で、自社にデザイナーがいなかったこともあって入社早々に重宝された。仕事があるのである。

一方私は・・・
今でこそ自分でソフトを使ってちょっとしたチラシや名刺など作成できるが、当時は営業希望だったので自分で仕事を探さなくては何もすることがないのである。そのうえ、社会人としての教養はまったく身についてなかったので電話に出ては間借りさせてもらってる別会社から「恥ずかしいから電話をとるな」と言われ、たまに社長の営業についていけば「こいつなんもできないんですよ」と小ばかにされ、そのうえ売り上げもあげていないのなにもできないやつのレッテルを貼られていた。

だが、本当に私はあのころはなにもできないただのバカだった。教養もない、世間知らずの田舎者。思い出しただけでも恥ずかしい。。。

そんな私がなんとか仕事をいただけるようになった経緯は次で話すが、ある時こんなことがあった。

仕事をぽつぽついただけるようになってきたころ、私としては少し金額の大き目なお仕事をいただいた。初めてのタイプの仕事で、どうやって進めていいかわからない。そんなとき、社内では別の大口のデザイン案件が舞い込んでおり、同期がそれに駆り出されていて、社長もその対応に追われていた。

私としてはこの仕事をなんとか無事納めたい。わらにもすがる思いで社長に話しかけたが、その返事は

「木村の仕事なんて今かまってられないから」

ちーーーーん。

さすがにこのときは、泣いた。たくさん泣いたあとに、誓った。

私はここにいる人たちに認められるために働いているわけではない、その先の目標のために働いているんだ。今に見てろ!と。この「今に見てろ」と思ったエネルギーがこれから先の原動力となったように思う。

つづく

起業きっかけストーリー第一章 第三話

第一章 思い立ってから起業まで

第三話 就職活動

大学3年生、ほとんどの学生がこの時期に就職活動なるものを開始して4年生の夏ごろか遅くても秋ころには内定をもらっているという流れだ。

ここで思わぬ壁に直面した。

就職活動を一緒にする仲間がいないのである。

だがそれも当然、教育大学は学校の先生になるための大学。私の周りはみな教員採用試験に向けて勉強を開始していた。

今思うと就職活動はなんてことないのだが、当時の大学生の私にとってはまったくの未知の世界で、エントリーシートと履歴書の違いや企業説明会の意味すらわかっておらずとても困惑していた。いやバカすぎた・・・
他にも教員以外の進路を希望する友人や先輩もいたが、みな公務員志望だったのでとにかく相談する人もおらずまた孤独感を感じずにはいられない毎日だった。

でも私の頭の中ではどの業種に就職するかだけは決まっていた。

①広告業界(業種問わずいろいろな人脈を持てそう。自分のブランドを立ち上げるためにいろいろなデザインに触れて勉強できそう。)
②絶対営業職につく(社長になるための近道は営業だ!)

この二つである。
(結果、印刷会社に就職したわけだが、広告代理店と印刷業の違いがわからなかったのだ)

就活生ならおなじみのマ○ナビを毎日食い入るように見ていたある日、こんな募集要項が目にとまった。

そこは小さな田舎の印刷会社で、

・初めての新卒採用!
・札幌オフィス新設のために新卒採用します

というものだった。

またもや私の「これだ!」という直感が働き、(しかも筆記試験なし!)迷わず応募。

なぜここが気になったかというと、初めての新卒採用=明確なルールが決められていないはず=自由に営業活動できるはず=自分の好きな人脈が作れる!

この理由が一番の志望動機だった。

1次面接、2次面接、最終面接くらいやっただろうか。

その間、私の本気度を見せるためにそこ以外一切応募はせず、面接の際にも
「私ここしか受けてないんです!」

と、やる気を存分に見せたおかげか、この子大丈夫かといった仏心か、無事内定をもらうことができた。

残りの大学生活は、なんとな~く過ごし、ついに社会人となるのである。

つづく

 

起業きっかけストーリー第一章 第二話

第一章 思い立ってから起業まで

第二話 きっかけの一言

毎日がつまらなく、欝々とした大学生活を送っていたある日、

こんな言葉が飛び込んだ。

どこからどうやってその話になってしまったのかはもう忘れてしまったが

今はナナクラ昆布の誕生秘話にはかかせない祖父のこの一言

「体が動かなくなったら商売を辞める」

この言葉を聞いた時に、

別に誰からなにを言われたわけでもないが勝手に

昆布を後世につなげたい、木村七蔵商店の名前を残すために新しい昆布を作ろう!

と使命感に燃えたのであった。

母に、「私が昆布を継ぐ。継げなくて形が変わったとしても、名前を残したい」と伝えたところ、何を馬鹿なことを言っているのかと一笑されたが、とりあえず聞こえないふりをした。

やっと目の前が明るくなり、自分の行くべき道筋が目の前に現れたような気がした。

目標は30歳までに起業だ!そう決めたときはまだ大学3年生半ばの21歳。そのときは30歳までは本当に遠い未来に感じていた。

就職活動の時期だった。

つづく

 

起業きっかけストーリー 第一章 第一話

前回の記事 プロローグ

 

第一章 思い立ってから起業まで

第一話 大学生活

大学生だった当時、私は常に欝々としていた。
目標がまったくなかったからだ。

進学した先は教育大学岩見沢校。それだけ聞くと、少しだけ優秀に聞こえるかもしれないが、とにかく進学の動機が不純すぎるのであった。

小学生から高校までひたすら部活動の剣道に打ち込んだせいで、
私は剣道に対してすっかり燃え尽き症候群になっていた。

高校まで剣道を続けた人は、大体は剣道部の環境が整った大学へ進学することが多い。
それはさらに強くなるためや、はたまた好きだから続けたいなど様々である。

が、私はもう二度と剣道はごめんだということで、当時剣道部としては無名だった
教育大学岩見沢校への進学を希望した。(学科が変わった現在は道内外から強者が入学してくる強豪校だ)

教員になりたいわけでもなく「剣道をやめたい!」この一心で教育大学を希望したのである。

教員になるための学校なのに、(当時は教員養成課程が主でした)教員志望でもなく、
かと言ってこの大学に他の希望も目標もなくただなんとなく入学した結果、
当然私の心にはぽっかり穴が開いてしまった。

剣道の他に美術が好きだったため美術専攻をし、そこでの専門の授業が楽しかったのと、
良い友達に巡り合えたのが幸いであった。

しかし、高校までの輝きは確実に失い、ただただ剣道を辞めてしまったことへの後悔を背負った大学生活。楽しいことや大学生ならではの刺激もたくさんあったが、それでも私の心は満たされず、

「自分が存在する意味」や
「生きる糧」

を、毎日探していたのだった。

親の金で大学に入ったにも関わらず、なんて親不孝なやつだと我ながら思う。

そんな欝々とした大学生活だった私に、希望の光が差し込んだ。

 

 

 

つづく

そんなこんなで立ち上がったナナクラ昆布はこちらから
http://nanakura-kombu.com

 

 

 

起業きっかけストーリー プロローグ

プロローグ

ナナクラ昆布はもうみなさんご存知の通り、2代目昆布漁師だった私の祖父が「自分の体が動かなくなったら昆布の商売をやめる」と言ったのをきっかけに立ち上がりました。

しかし、思い立ってすぐに立ち上がったわけではありません。
その時の私はまだ22.3そこそこの大学生。

田舎者&世間知らずだった私。そんな小娘に起業なんてできるわけありません。

とりあえず、30歳までに起業しよう!という目標をたて、29歳になる2015年4月に、
目標の年齢まであとわずか1年のぎりぎりセーフで起業に至りました。

起業してからがスタート、本番ですので、(起業そのものは言ってしまえば紙一枚提出するだけでだれでもできますので・・・)起業からわずか1年しか経っていないこんなペーペーが語るのはまだ早いとわかってはおりますが、10年近く構想を温めて温めてやっと起業したということについては私にとって、とても感慨深いことなのです。

当時20歳そこそこの私が立てた目標の中を今走っている私。

やりたい!と思い立ってから、起業に至るまで、さらには1年経ってみてのことをちょくちょく語っていこうかなと思います。

http://nanakura-kombu.com